玉造稲荷神社

玉造稲荷神社のある玉造は、古代より多くの街道や水路が通っており、651年には孝徳天皇によって難波宮が築かれるなど古くから、大変栄えていた地域でした。

日本書紀にも名を残す場所で、大変歴史ある町に鎮座しているのが、玉造稲荷神社です。

 

分霊を他の神社に移して鎮祭することを勧請(かんじょう)というが、こちら玉造稲荷神社は伏見稲荷大社からの勧請ではない稲荷社で、創祀年代の古さから「もといなり」との呼び名もある非常に歴史深く由緒ある神社になります。

 

戦国時代には織田信長による兵火により、1576年に境内が焼失しますが、稲荷神を厚く信仰していた豊臣秀吉によって経済的な支援が行われ、大阪城の鎮守神とされて五幸稲荷大明神として崇敬を集めました。

 

大阪城で行われる神事の大半は、当時「豊津稲荷神社」とも呼ばれていたこの神社の神職によって執り行われていました。1603(慶長8)年には豊臣秀頼によって社殿や月見・花見のための高殿が建立され、境内に残されている石鳥居もこのとき寄進されています。

 

その後1615(元和元)年の大阪夏の陣の兵火によって再び焼失した玉造稲荷神社は、1619年に入って再建されました。

 

江戸時代にはお伊勢参りの出発地とされ、境内にあった観音堂が大坂三十三所観音の第10番札所とされていたこともあって多くの参拝客で賑わっていました。

 

その後、新町焼と呼ばれる大火事によって全焼、1871(明治4)年に再建。

1945(昭和20)年に起こった大阪大空襲によってまたも焼失しますが、戦後の政教分離により、「玉造稲荷社」「玉造いなり」など古くから使われていた呼び名にちなんで、宗教法人玉造稲荷神社として再建。1954(昭和29)年には境内の再建・整備が行われて現在に至ります。

 

多くの歴史を見守ってきた、また多くの氏子に守られてきた、歴史に名を残す偉人も多く訪れた大阪を代表する歴史深いこの地での結婚式は、非常に貴重です。

住所 玉造稲荷神社【たまつくりいなりじんじゃ】 / 大阪市中央区玉造2-3-8
電話 06-6941-3821
参列人数

「幣殿」 新郎新婦含む18名
「拝殿」 新郎新婦含む30名

挙式料

¥110,000-

奏楽 基本はテープ
別途¥25,000-にて生演奏対応可能
巫女の舞
控室 2部屋有
撮影

可能

駐車場

備考 控室料含む
アクセス 大阪環状線「玉造駅」または大阪環状線「森ノ宮駅」から徒歩6分